武士


武士は、社会的な身分であるのと同時に「武芸という芸能を家業とする職業的な身分」である。
馬上の射芸や合戦の作法を継承する家に生まれ、それを継いだ人物が武士である。
逆に言えば、いくら武芸に優れていて身分が高くても、出生が武士身分でない限り武士とは認められなかった。
武家の生まれ以外で武士の身分を得る為には、正統な武士身分の者の郎党となってその家伝来の武芸の伝授を受け、さらに新たに独立の家を起こすに当たって家芸の継承権を得るしかなかった。
この道筋が子孫の増加、分家以外で武士身分に属する家系が拡大する機会となった。
中世になり武門の家が確立した後でも、その他に朝廷の武官に相当する職種が存在したが、たとえこの官職を得ても武士身分出身でなければ武士とは認められなかった。
ここで言う武門の家とは「源氏」及び「平氏」が特に有名である。
下克上が一般化する前はこの認識が強く、戦国期の豊臣秀吉のように百姓その他武士身分以外出身の人物は当然、武士として認められるはずがなかった。
先祖の武名によって自分の家が武士として認められていたため、かれらは自分の家系や高名な先祖を誇っていたと言える。



■武士道■

戦国の武士の気風を受け継ぎ殉死などを行なう傾奇者を公秩序維持のため徳川家綱の代に禁止し、江戸幕府が儒教の朱子学を公の学問としたため、信・義・忠を重んじ、気高い振る舞いを行なうのが武士であるとされた。
このため名誉を金銭より重んじるなど、後世において武士道という概念につながるような武士としての理想や支配者としての価値観「士道」が生まれた。

しかし、安定期であった江戸時代を通じて形成された儒教的な「士道」に反発し武士としての本来のありようを訴える人もいた。
そうした武士の一人、佐賀藩士・山本常朝が話した内容が『葉隠』に「武士道」という記述としてまとめられているが、それは武士社会に広まることはなかった。


■武士に関する言葉■

・武士は食わねど高楊枝
・武士の商法(士族の商法)
・武士の情け
・武士は相身互い
・武士に二言なし
・武士道とは死ぬことと見つけたり
・一所懸命
・いざ鎌倉
・武士の三道楽 - 園芸、釣り、学問。



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